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東京23区-5「練馬区(石神井公園)」野見山暁治さん講演会にて

 15, 2018 00:31
石神井公園(色鉛筆)

昨年末に野見山暁治さんの講演会に申し込んだら、思いもよらず抽選に当たった。
私にとってうれしいお年玉で、週末石神井公園内にある文化園分館に出かけた。
着いたのは5分前だったけれど、並んでいたのは6人ほど。
運良く最前列に座れた。
これまで回顧展を見て、どの著書も愛読していたけれど、
ご本人の声を直接聞く機会を得たのは初めてだっただけにとてもうれしかった。
講演のお題は「12年間のパリ暮らしとコミちゃんの思い出」
同じ館内で開催されている「作家の手紙展」に、
若き日の野見山さんが留学先のパリから日本の妹夫婦、
とくに妹さんの亭主である義弟の故田中小実昌に宛てた手紙の展示にちなんだものと
新刊の「アトリエ日記」のPRを兼ねての企画である。
お話しはほとんどが「コミちゃんの思い出」についてだった。
公演後、本の販売とサイン会が催された。
すると、立ち上がって「本は買わなくて良いんですよ」と
声を上げておられた野見山さんの表情は、真剣だった。

初めて見る野見山さんは想像通りの小柄なおじいさんで、
ちょっとした所作の品の良さは、若い日のパリ暮らしで身につけられたものだろうか。
年齢に比してしわの少ない、細い指を持った小さな手をしておられた。
野見山さんは数年前の日曜美術館のときに比べると、少し脚が弱くなられたようだ。
それにしてももう97歳である。
杖も車いすも使わず登壇されるのは驚くばかりで、
そしてもうひとつ驚いたことに、私と同じMERRELの靴を履いておられた。
実はその靴は、辺見庸さんも同じのを履いている。
どうでもいいことだけれど、本当に履きやすくデザインも良い靴である。

田中小実昌と言えば私にとっては今東光らとの野良犬会の面々としてはじめて知った。
今から35年前になる。
野良犬会の屏風の寄せ書きに、田中小実昌さんは「わん!」と書いていた。
野見山さんの著書ではやはりその通りの奇人として描かれていたけれど、
一番印象に残っているのは戦時中のエピソードだ。
中国の内陸に一兵卒として駐屯していたとき、
近隣の農家からおそらくスパイ容疑なんかで引っ張ってこられたのだろう。
ある家族が廊の中に入れられて、小実昌さんは夜の見張りをさせられていた。
ところが小実昌さんが見張りの時には、いつも夜中に居眠りしてしまい、
捕虜はその間に全員逃げてしまうのだった。
皆、翌朝には死を逃れられない農民たちだった。
「帝大の学徒動員だった彼がついに終戦まで二等兵だったのにはまず考えられないことで
その理由はこのあたり、じっくり考えてみる必要がある」と、野見山さんは書いていた。
小実昌さんは「眠っちゃうんだよね」くらいしか語らなかったそうで、
ご本人の戦争体験を書いた作品をいくらか読んでみたけれど、
そのことは書いておらず、今回もその話は出なかった。

テーマは「12年間のパリ暮らしとコミちゃんの思い出」だったけれど、
お話しのほとんどは「コミちゃんの思い出」だった。
あらためて、本当に変わった人だったようで、
なおかつ多くの人から愛されたこともよくわかる、いいお話しだった。
野見山さんは話の途中、何度も「こんな話、面白いですか」と言っておられたけれど、
退屈した人は一人もいなかったように思う。
会場には野見山さんと仲の良い入江観さんも来ておられた。

帰宅後、記憶を元に今日聞いた話を再現、記録してみた。
最近記憶力にはほとほと自信がなくなってきて、
おそらく1割も思い出せないだろうと思って書き始めた。
すると予想に反して、話の順番や細かいところはともかく、
20代の頃のように、大事なところはほぼ再現できた。
講演中、撮影も録音も禁じられていたので、
藤本義一さんのトークショーの時のように、いつか記録としてアップできたらと思う。
帰ってから財団のお知らせを見たら今日の講演のことが出ていて、
スナップ写真の端っこに、私の頭が少しのぞいていた。

20180113-2.jpg
私も買いました。
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