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8月15日

 15, 2018 00:31
神明神社(オイルパステル)

近所にある洗足池の畔には、いくつかの神社がある。
ここはそのうちの一つ、八幡神社の境内にある神明神社。
神社の中に神社があるのは不思議な気がするけど、
これはよくあるそうで、「境内末社」というそうだ。
立て札を読むと、860年頃に創建されたとある。
その頃日本は平安時代。
九州や畿内以外の地の歴史は教科書にもなかった(はず)ので
私には文明があったのかさえおぼつかない土地だ。
誰かが石ころを置いてしめ縄を結んだ、くらいの出来事が
「創建」という歴史になっているんじゃないか、そんなイメージだ。


8月15日が近づくと、いつも思う。
自分の生まれた日からわずか16年ほど前まで、
本当にこの日本を戦地としたアメリカとの戦争があったんだろうかと。
友人のカメラマンが戦争の痕跡をずっと追っている。
もはやほじくり返さないとその痕跡すら見つからないようになっている。
記憶はいずれ歴史になって、悲惨だった実感は体験者が彼岸へ持ち去る。
「日本人戦争体験者最後の一人」がいなくなる日はいつか確実にやってくる。
毎年この時期、私は野見山暁治さんの、
戦没画学生の遺族を訪ねた手記を拾い読みしている。
その一つ、興梠武さんのところの抜粋。

南方から届いた遺骨箱の中には白い貝殻がひとつだけ入っていたので、
興梠さんの母親は、その死を信じなかったらしい。
息子の残していった絵具や筆を整理して、
還ってくる日を生涯待ちつづけていたというが、
実はその死を信じなかったのではなくて、
かつてそういう子供が居た、ということが逆に信じられなくて、
絵具を並べながらその育生を確かめていたのではあるまいか。


推察は事実だっただろうか。
しかし自分の子供だった実感が失われてゆく親の日々には、
恐ろしいほどの孤独のリアリティがある。
私の師は、将来私自身がそういう経験をするかもしれないことを危ぶんでいる。
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