モームのある短編小説

 30, 2011 16:25
サマセット・モーム

世界の文豪の中で、
長編と短編それぞれに傑作を持つ稀な作家が、
英国のサマセット・モーム(1874-1965、英)だ。

作家でありながら元英国諜報部員という職歴を持つモームの視点というのは
深くていささかシニカルである。
アメリカの人気雑誌に連載した短編を集成した「コスモポリタン」は
苦労人モーム氏のさまざまな「人に話せない」実経験をうかがわせる、
女性誌に連載されたものの、どちらかというと男性向けの短編集だった。

画像は新潮でかつて全集として出されていたもの(後に文庫化/画像左下)。
誰の手によるものなのかわからないが、ちょっと古めかしい装丁は、
今となってはけっこう上品で美しい。
20才前後の頃、この「コスモポリタン」を捜して大阪、京都の古書店を
ずいぶん歩き回った記憶がある。
かつて長く絶版だったけれど、今はちくま文庫(「コスモポリタンズ」)で読める。
その中でとくに私が好きだった一篇「弁護士メイヒュー」はこんな話だった。
・・・・

その主人公は30才代半ばにしてはやくもアメリカの弁護士としてひとかどの成功をおさめていた。彼はある日友人との酒の席で、イタリアのナポリ湾を見おろす景勝の地カプリ島に素晴らしい別荘が売りに出ていることが話題になった。彼は島になんの知識もないまま、酔いもあって衝動的にそこを買ってしまった。しかし酔いが覚めても彼は後悔せず、仕事からきっぱり足を洗うと初めての海外に出てそこに移り住んでしまった。すでに一生食いっぱぐれないだけの財産をためていた彼は「人生にはもっとほかにやりたいことがあるはずだ」と考えて、まだ見ぬその島にやって来たのだ。

島に来てしばらくはそこでのリゾート生活を楽しんだ。島には遺跡が数多く残っており、その風景を眺めて暮らしているうち、ある日彼は古代ローマの歴史書を書こうと思い立った。かつての仕事柄、彼はたちまち世界中から膨大な資料を蒐集し、精力的かつ綿密に調べあげた。正直者で努力家だった彼は作業に打ち込み始めると、毎日起きると翌明け方まで、今まで眺めていた明媚な風光には目もくれず、10数年の間刻苦勉励し続けた。いつしか膨大なメモをとりまとめ、準備がすべて整い、さあ、これから著述に取りかかろうとしたとき、彼はそれまでの無理がたたって、あっけなく死んでしまった。蓄積された膨大な知識は永遠に失われてしまったのである。

「しかし」、とここでモームは言う。
費やされた膨大な時間と財産は完全に無駄に帰してしまった、にもかかわらず、彼本人にとって、その人生は成功だった。なぜなら彼は自分のやりたいことをやり、ゴールを目の前にして死んだからだ。つまり目標を達成してそれを失った悲哀を味あわずにすんだのだ、と。



かつて、私の友人は、長い間の悲願だった、
自分自身の特許事務所を開こうとしていた。
しかしもともと身障者手帳を持つくらいの病弱な体質、
まわりがその身体を心配もしたが「ときは熟せり」、
少々の無理は仕方がないと、開業日まではと、奔走し、
海外へも挨拶回りに精力的に足を伸ばした。
そして私のところへ、
屋号のマークとビジネスレターヘッドデザインの最終打ち合わせに来た翌日、
彼は亡くなった。
もともと持病を持っていた心臓が、彼の精神を裏切ったのだった。

そのときにも、この短編を思い出した。
私はそのとき、彼に後ろから声をかけられたように思ったものだ、
「みなさん、やりたいことを精一杯やって生きていますか?」と。
あれから3年がたつ。
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Tag:モーム

COMMENT 5

Thu
2011.07.07
00:44

タブロウ #3h4yWL0g

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ぱんどるさん、
いい言葉ですねー。
その言葉は「いい絵」にも同じことが言えますね。
いい絵は見る側に新しい時間を生むことができます。

Edit | Reply | 
Wed
2011.07.06
19:31

ぱんどる #-

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宮沢賢治が私の中の根本かもしれない
短編は必要最小限しか言葉が無く
創作の半分を読者にくれます。
あれがファンタジーなんですね~

Edit | Reply | 
Mon
2011.07.04
12:05

タブロウ #3h4yWL0g

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ぱんどるさん、こんにちは。

ゴーギャンの「月と6ペンス」は広く人気がありますね。
私は読んだ当時、絵筆を握って力こぶが入っていた頃にもかかわらず、
長編は「人間の絆」の方が好きでした。
どちらも内容はすっかり忘れ去ってしまっています。
そのうち再読してみたいと思います。
短編は何度も読んでいて、忘れないのですね。

Edit | Reply | 
Sun
2011.07.03
23:04

ぱんどる #-

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月と6ペンスにははまったな~~^^;

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Fri
2011.07.01
17:33

 #

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