立て膝する妻の肖像 A(F4)

 05, 2011 00:22
立て膝の妻


キャンプ旅行の車の中で、
次男坊が突然妻に言う。
「クラスの友達がね、お母さん、49才に見えないって」
最近の小学生というのは、いったいどんな会話をしているのだろうか。
(ちなみに同級生の両親は、ほとんどが30代から40代はじめである)

この夏に私は50になった。
感慨もないけれど、とくにがっかりもない。
ただ「時間」の存在は、以前より大きい。

今まで「時間」は前を歩いていて、私を引っ張っていたような気がする。
自分の思い通りとは行かないまでも、
岐路に立った時は自分の決めた方向へ進んだはずなのに、
どれもこれも、やはり「運命」という誰もうかがい知ることのできない道に従って
自分も他人も、きっといろいろな早さで歩いていたのだろう。

高校一年のホームルームの時に
「運命というのはあると思うか」というテーマの時があった。
ある同級生がこう言った。
「自分はあると思う。
 もしもないと言うのならば、たとえば身体の不自由な人なんかが
 生まれつき障害を持って生まれてきたのはどうしてなのか」
私は同級生の口から出たこの言葉に衝撃を受け、いまだによく思い出す。

今、「時間」は自分の後ろを歩いている気がする。
後ろからつかず離れずついてきて私をじっと見つめ、
私が振り返ろうとすると、前を向かせて先を急がせる。
「今まで経験してきたものをどう活かせるか、あなた次第だ」
と言っている気がする。
ここから先は、意外と「運命」の道はまだ決まっていないのかもしれない。
そう思ってしまうのは、実際そこに立っている者のご都合主義だろうか。
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Tag:油彩 肖像画 Portrait

COMMENT 4

Tue
2011.09.06
02:22

タブロウ #3h4yWL0g

URL

hananoiroさん、こんばんは。
ありがとうございます。

近所の子どもたち、お父さんお母さんと顔見知りが多いのは
子どもたちが入っているサッカーチームの関係です。
朝、駅に行くまでに多い時は三人くらいの人と挨拶します。


私は自分のことより、人が事故や災害、不幸に遭っているのを見聞きするとき、
「運命」を感じてしまいます。
こいつが後ろに回った時、(今ですが)
自分がここまで大きな不幸もなく生きてこれて幸運だったと思いました。
今こうして普通に生きているのはめっけもンなんです。
そう考えると、身の回りにあるものが違って見えてきます。
私の場合ですけれど。。

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Mon
2011.09.05
22:05

hananoiro #-

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こんばんは~
子どもって、クラスメイトの母親。見てますね~
私は誰と誰が親子かって、未だに把握できてませんが。。

タブロウさんも節目の誕生日を迎えられたのですね。
おめでとうございます!(と言わない方がいいでしょうか。。??)
運命。。自分のことを振り返ってみると。。
。。運命といいながら、自分自身が引きよせて来た事ばかりだったような気もしますね。
良かったことも、後悔することも。結果論かもしれませんが。
タブロウさんはどうですか?




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Mon
2011.09.05
15:34

タブロウ #3h4yWL0g

URL

私も東京へきたのは24年前、あと数年で東京生活が関西を追い越します。
もう何年も帰省していないのですが、たまに奈良へ帰ると、
自分一人が置いてきぼりを食ったような感覚に襲われます。

毎年春頃、新宿南口周辺を大きなバッグを抱えてうろうろしている
東京一年生を見かけますが、
彼らを見ると声に出さずとも応援したくなります。
東京育ちでここから一歩も出ることも必要もないうちの奥さんなんかには無縁の感覚です。

運命論の有無はもちろんどちらにも解釈できます。
しょせんはその人の人生観によるのでしょうね。

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Mon
2011.09.05
12:19

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